卒業生インタビュー

我が母校は私の原点であり、
あの頃があったから今の自分がある。

フリーアナウンサー・札幌観光大使
若林 聖子さん
(2002年 教養学科卒/札幌手稲高校出身)
2019.8

出会った方とのご縁が仕事につながり、
フィールドが広がる。

 ラジオのDJに抜擢されたのは22歳の時です。HBC(北海道放送)ラジオでファイターズの番組を担当することになり、スタジオや札幌ドームから出演させていただきました。2006〜2008年のシーズン中は、平日に札幌ドームで行われる全試合に足を運び、中継を担当したことはいい思い出です。
 24歳の時、念願だった音楽番組「サウンドエクスプローラー」をHBCラジオで担当することになりました。サカナクションやRADWIMPS、SEKAI NO OWARIなど、7年間で300人以上のアーティストの方々にインタビューを行いました。この番組を通して、ゲストの言葉を引き出す問いかけを日々考え、学ぶことができた大切な時間であり、話す仕事がさらに面白いと感じた経験でした。
 ラジオは大好きなツールです。しかし、ラジオでは私の顔を覚えてもらうことはできません。ラジオのリスナーだけでなく、たくさんの人たちにもっと私のことを知って欲しいという思いは、日に日に強くなりました。幼い頃から抱いていた「テレビ」への憧れもあり、HBCのスタッフに「チャンスがあれば、テレビの仕事もよろしくお願いします」と言い続けました。
 その結果、HBCテレビ「金曜ブランチ」のレポーターに抜擢していただきました。最初のレポートはケンタッキー・フライドチキンの店舗だったのですが、お肉を上手に食べることができず、テレビの仕事の難しさを痛感したことも昨日のことのように思い出します。
 その後はスポーツの繋がりで、J:COM札幌でコンサドーレ番組のメインMCを担当させていただくことになりました。現在はUHB(北海道文化放送)で月頭の土曜日放送されている「シフトチェンジTV」でMCをしています。輸入車の紹介番組で私にとっても新たなフィールドでありとても勉強になります。振り返ると、仕事を通して出会った全てのご縁によって、今の私があると実感します。

出産を機に仕事が激減。
もう戻れないのではという不安を乗り越えられた理由。

 十勝毎日新聞社でのコラムの執筆は、出産前から担当していました。この仕事ではブッキングから取材、原稿作成まで、すべて自分で行っています。産休・育休をとることを仕事関係者に伝えるなかで、なくなってしまったものも少なくありませんでした。しかし十勝毎日新聞社の方々は、「産後も自分のできるペースでお仕事をして欲しい。待っている」と声をかけてくださいました。
 復帰にあたって、家庭の事情で仕事現場に子どもを同伴せざるをえない状況もあることは想定していましたが、子どもを連れて現場に行くことに対し、最初は躊躇する気持ちもありました。けれども今は、時間の都合や効率を考え、わりきって仕事に娘を同伴することもあります。子連れで仕事をすることには、賛否両論があると思います。しかし私の事情も含めて理解し、それでも「若林聖子に仕事をを頼みたい」と思ってくださる皆さまと一緒に仕事ができることに、感謝の言葉しかありません。
 これからは自分のことだけではなく、縁を繋いでくださった方々、成長させてくれた皆さまに感謝の気持ちを持って恩返しをしていきたいです。我が母校は私の原点であり、あの頃から温かく見守ってくださった教職員の方々がいてくださったからこそ、今の自分があります。今後も北海道武蔵女子短期大学応援大使の気持ちで、できることは全力で応援させていただく所存です。

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